セルフ男子校 要点のみ(−7400字)
彼女が欲しいという願望が欠落していた。
結婚したいという願望もない。
「リア充爆発しろ」という僻み根性丸出しの呪詛も、その過激な響きが愉快だから口にしていただけで羨ましいとは思っていなかった。
酸素の元素記号がHAPPYになるクリスマスだって、家でのんびりする平凡な一日に過ぎなかった。
勝手に幸せになっていればいい。
自分は十分に幸せだから。
ただ、解けない疑問が胸に蟠っていた。
どうして周りは異性とも仲良くしているのか。
同性の友達とバカ笑いするだけで満足ではないのか。
過去を生きる男。
高校生の頃、小中高が同じ友達の一人とは「高校は中学に比べて退屈だ」という話を再三にわたって繰り返していた。
中学時代を思い返しては必要以上に記憶を美化し、なかなか「今」を認めようとはしなかった。
「今」だって楽しいくせに。
「今」を生き抜けば、それは語られる過去になるのに。
過去にすがりつく傾向は大学生の坊やになっても変わらなかった。
大学はぼっちでも構わない。
中高の友達がいるから。
近況報告をしたり、思い出話で盛り上がったり。
ただその中で、僕の近況報告は白紙のことが多い。
中高の友達と地元で遊ぶ、過去の人と過去の場所で遊ぶのだから目新しい事があるわけがない。
大学の友達と都内のオシャレなカフェに入ったり美味しい店を探したり飲み明かしたりという、新しい人と新しい場所が欠けている。
人生の夏休みで内向性が幅をきかせるようになった。
大学は必修を除いてクラスの概念がない。
つまり人付き合いが選択的になる。
その自由を前にして僕が選んだのは、幼児退行したかのような内向性の肥大化だった。
その結果、大学でできた友達は必修で二年を共にした二、三人だけ。
一緒に授業を受けたり、昼飯に誘われたり、海外旅行にも行ったことのある仲だ。
LINEの連絡先は100人だが、そのうちの90人を切っても支障はないだろう。
人のホーム画面を見ると、目に映るのはLINEの通知数。
常に赤いバッジがついており、その数も二桁三桁が当たり前。
一方の僕は、たまに連絡が来れば上出来。
しかし今はその数少ない連絡にさえ返すのが億劫だ。
遊びの誘いも待つのが基本。
こちらから仕掛けずとも向こうから誘いが来るのが分かっているから。
それに遊ぼうという気概も老衰しており、月に一度遊べば充分だ。
人生の夏休みだからこそ、家でごろごろごろごろ。
ひとつでも居場所があれば、それでいい。
自分の人見知り具合を考えれば、狭く深くの関係になるのは当然だ。
小中高が同じ友達に「◯◯と仲良くなるには十二年かかる」とも言われたが、あながち間違いではないと思う。
高校からずっと通っている美容院は、ようやく慣れてきたとはいえ、いまだに緊張する。
二、三ヶ月に一度で、一回一時間。
山にならない塵。
大学の必修は週二回。
肩の力が抜けて女子とまともに話せるようになったのは二年になってからだった。
女性というものは、男性自らが開拓しなければならない。
その開拓するはずの男が堅固な守りに徹してしまっている。
仮に女性から話しかけられても、おどおどぼそぼそ返す男なんて異様で気味が悪い。
女性は愛想を尽かし、僕の存在はその人の中から抹消される。
人付き合いが強制ではない大学という空間で、打ち解けるまで時間のかかる奴を女性が相手にするだろうか。
おかげで好きになるほど深く関わる機会がない。
材料は出揃った。
最小限の人付き合い。
最強の人見知りと最弱のコミュ力。
乙女チックな受動態。
これまでに彼女ができた数をx、女友達ができた数をyとすると次の連立方程式が成り立つ。
x+y=0
xy=0
この式の解は、x=0,y=0である。
小中高大16年間、共学でありながら彼女はおろか女友達さえできなかった。
セルフ男子校、ここに開校。