セルフ男子校

ひとり、ぽつんと。

庭でうつむく幼稚園児の姿。


友達はいなかった。

いないことが当たり前だった。

ひとりでいることに何の疑問も持たなかった。

どうして周りは複数人で遊んでいるのか。

それすら思わない。

外界への目が閉ざされていた。


休み時間に庭に出ると、ぼんやりと歩き回った。

ひとり、気ままに空想に耽っていた。



社交性の無い子。

親が家を空ける際は隣家に預かってもらったが、借りてきた猫のように物静かで懐こうとはしなかったそうだ。


正月や夏休みに祖父母の家に向かう道中、「しっかりこんにちはって挨拶するんだよ」と母に言われ、心が重くなった。

「こんにちは」の五文字を頭の中で何度も反芻しながら到着、おずおずと小声で挨拶すると、一仕事終えたようにほっと一息ついた。



幼稚園児は小学生になった。

入学する前から新しい環境への不安でひどく緊張していた。


家族に対してさえ口数が多くないのに、家族ですらない人たちと接するなんて。



「人みしり」

新学年ごとに書く自己紹介カードの決まり文句だった。

どういう性格か親に訊いたら

「おとなしい、人見知り、引っ込み思案」との返答。

引っ込み思案の意味は分からなかったが、とりあえず書いておいた。



一年生。

記憶は深海に。

どうせ最初のうちは赤面してばかりだっただろう。

それでも出席番号の近い男子と仲良くなり、友達には恵まれた。


二年生の頃、『鋼の錬金術師』OP曲「メリッサ」のカッコよさを語り合い、『BLEACH』で朽木ルキアが口にする「たわけ」という言葉が気に入っていた。



友達とは放課後もほどほどに遊んだ。

ポケモン金銀版、ロックマンエグゼ4、ベイブレード遊戯王、デュエマが共通言語。

友達の家にお邪魔してテレビゲームもした。



遊ばない日はリビングでポケモンのフィギュアを配置して自前の物語を進めていた。

傍から見たら、何もしないでじっとフィギュアを眺めているだけの静の遊戯だっただろう。



この頃からか、父と兄と一緒の寝室で眠りに落ちるまで、常夜灯に照らされた障子や天井の木目に物語が走り始めた。

一日の終わりのこの時間が好きで、小学校卒業まで空想を逞しくしていた。




三年生。

初のクラス替え。

下駄箱に貼り出された新しいクラス名簿には、一、二年で仲良くしていた三人がいた。

そのうち二人は誕生日が近く、最初は出席番号順で座るため距離も近かったが、もう一人は少し離れていた。

見ると知らない男子と楽しそうに話している。

自分の友達を奪われたような気持ちを淡く抱いたものの、接してみたらすぐに打ち解けた。

佐藤というその男子は、誰とでも仲良くなれる社交性を持ち、異常におもしろい少年だ。

元の四人に佐藤を合わせた五人が基本単位となった。

授業のグループワークも、休み時間も常に五人。

図書館をぶらついていたら目に留まった本の表題に感化され、「ズッコケ五人組」を自称した。


学校では五人組でも、放課後に集まるのは家の遠さを考えると難しい。

そこでよく遊んだのが、家が遠くない佐藤だった。

週六で習い事に勤しむ佐藤は、木曜が唯一空いていて、毎週木曜日は遊ぶ日と決まっていた。

夏休みはこっちから電話をかけて暇かどうか訊く仕来たりになっていて、半分は遊んだ。


家にお邪魔すると近所の他クラスの男子がいて、当然人見知りを発揮したものの、スマブラ64、DX、マリオパーティ4、カービィのエアライドなどゲームの力で親しくなっていった。

ゲームばかりではない。

近くの公園をポコペンや缶蹴りをして飽きもせず駆け回った。

ポコペンで自分が鬼になった時、「◯◯見っけポコペン」と声に出す約束事に躓いたのをよく覚えている。

姿は見えすぎるほど見えているのに、他クラスの男子を君付けで呼ぶか周りが呼んでいるアダ名で呼ぶかで困り果てている間に、みんな痺れを切らして鬼を交代、ついに名前を呼べずに終わったことがある。

名字に君付けでは遠すぎる。

かといってアダ名では近すぎる。



———


女子の話。


二年生の時、バレンタインデーにチョコをもらった。

わざわざ親御さんの車で来て、チョコケーキを手渡してくれた。

寝起きでボケている頭に緊張が混ざり、よく分からないながらに小さくお礼を言った。

チョコケーキはとても美味しく商品のようであったけど、箱に添えてあったメモの「がんばってつくったけど、どうかな」を信じるならば二年生にしてプロ並みの腕前を持っていたことになるが、その辺のことはよく分からない。


授業の一環でやり取りしていた手紙に「おいしかったです」と書いたような気がする。


ホワイトデー。

同じように親に連れられ、相手の家へと向かった。

緊張の二乗ともいうべき体でかろうじて日本語に聞こえる「バレンタインデーはありがとう」みたいな文言をこれまたぼそぼそと唱えた。



三年生。

かわいい女の子がいた。

惚れてはいなかったけど、とにかくかわいい子がいた。

休み時間、教室のドア付近でいつもの五人組でふざけていたのだろうか、ちょうど入ってきたその子のお腹に肘が当たってしまった。

焦りに焦り、謝りに謝ったがそのお腹のやわらかさが肘に残っていて、どちらの意味で深謝しているのかよく分からない状況だった。




同じく三年生。

僕がとある女子を好きなんじゃないかと周りが勝手に盛り上がっていた時期があったが、僕にはその気持ちはなかった。もちろん相手にも。

ある日、何の脈絡か覚えていないが、その子が同じ班の男子の匂いを嗅ぐという流れになり、嗅いでもらったら「無臭」との評価が下されたのだが、これが一番よく分からない。



———



またしてもクラス替えを迎える五年生になった。

一縷の望みに賭けていたが、祈念空しく、五人組は1:2:2の割合で散らばった。

僕は2だった。

だが、その一緒になった一人は新しい環境でそれぞれ別の友達と絡むようになり、一年からの仲でも距離が開いていった。


それでも変わらず五人組で遊ぶ休み時間もあった。

六年生の時、巨大な砂山作りに励んでいると、ひとつ下の五年生男子らも競うように作り上げている。

休み時間が終わり、ひとまず引き上げてまた次の時間に出て来たら、壊されていた。

それからは陣取り合戦なのか妨害工作なのか破壊工作なのか分からない上級生同士の泥仕合を繰り広げることになった。



「デスマラソン」というものにも興じた。

マラソンとは名ばかりで、木々の間を縦横に駆け巡り、三メートルほどの高さから飛び降りるコースを延々と走り続ける遊びだった。




回数はさすがに減ったが、クラスが分かれてからも佐藤の家にお邪魔することがあった。

佐藤は「大体ウチで遊ぶ時は複数人のことが多いんだけど、なぜか◯◯と遊ぶ時は一対一なんだよね」と口にしていた。





小六最大のイベントといえば、修学旅行。

写真係を任された僕はバスの外の風物にばかりフィルムを使い、「全然わたしたちの写真撮ってないじゃないの」と班長からお叱りを受けた。


宿泊部屋で男子二人に脇腹くすぐり地獄の憂き目に遭い、次の日も声が嗄れたままだった。




以上のような大雑把な記憶をもって小学校を卒業する段になった。

私立受験する人以外はそのまま同じ中学に進むため、何の感慨もない卒業式だった。




中学生。

ワイシャツ、ブレザー、ネクタイ、ベルト、生徒手帳。

慣れないものばかり。

三度目となるクラス替えも、慣れることはない。


佐藤と同じクラス。

五、六年の時に仲良くしていた友達もいた。

小規模な学年で六年を共にしているだけあって、知らない人の方が少なくなる。

たとえ知らない人でも席の前後で班になれば自然と会話が生まれる。



「先生、◯◯変わったんだよ」

女子がそう報告していたのは、六年の時の担任が授業参観に訪れた日。

照れ笑いを浮かべる僕とは対照的に、佐藤は「そうか?◯◯いつもこんな感じじゃん」と冷静だ。


人見知りも、六年の歳月を一緒に過ごしたことで何かが吹っ切れた。

寡黙だからといって真面目とは限らない。

真面目ではない自分を少し解放してみてもいいかなと思えるようになっていた。

実際、ボケたりツッコんだりふざけたりして笑ってもらえるととても嬉しかった。

隣の女子とも話せるようになっていて、人見知りの面影はどこにもなかった。



中学校は極彩色の笑い。



時間は省略され、卒業式を迎える。

卒業証書を貰いに壇上へ上がる際、一人一人が将来の夢や親への感謝を述べる慣習があった。

胃がキリキリする。

慣習からは逃れられず、ついに順番が回ってきてしまった。

定型文のような親への感謝を声を張り上げて言ったつもり。

自分の中の卒業式は終わったかのように気が緩んだ。

それからは残念ながら記憶に残らない先生方の祝辞をいただき、式は粛々と進行していった。

そして「旅立ちの日に」合唱。

例によって感動しちゃう女子は泣いている。

しかし自分も、この顔触れが揃うことも、この校舎でふざけ合うことも二度とないのか、と感傷的な気分になってしまう。

曲はサビへと盛り上がり、いよいよ込み上げてくるものがある。

と、感傷が頂点に達しようとしたその瞬間、一体何を思ったのか、隣の友人が裏声で歌い始めた。

マヌケなほど細く高い声を聞かされて僕の声は震えた。

流石だと思った。

彼も五人組の一人だった。





高校の入学式。

中学からは十人、同じ高校に入る。

部活が同じで仲の良い男子もいて、小学校の時のような不安はなかった。

それでも緊張は拭えない。

入学式の後に行われる新入生を迎える会で、壇上に立って二言三言の自己紹介を先輩の前でさせられるのだ。

本当に勘弁してくれ。

順番が来たらクラス毎にステージ袖に控える。

得体の知れない者同士、会話が生まれるはずもなく、ぎこちない空気が漂っていた。

着々と迫りくる順番。

一年を過ごすクラスメイトなのに全く頭に入らない自己紹介。

そしてマイクの前。

卒業式よりも大勢の前。

照明が熱い。

小っ恥ずかしい駄言をぼそぼそとマイクに届けてもらい、一件落着。



式が終わり、教室へと向かう。

席は一番後ろだった。

全体を一望できる席。

私服かつ髪染め自由の高校なだけあって、黒山ではなかった。

チャラそうなのもイカつそうなのもギャルもいる。

参ったな、環境が違いすぎる。

環境適応能力の低い僕は圧倒されてしまった。

それでも似た者の嗅覚と言おうか、この人達と絡んでこの一年を凌ぐだろうという目星はついていた。

しかし何て声を掛けよう。

これは小中学時代に限らず今もだが、新しい環境に投げ込まれた時、一度も自分から声を掛けたことがない。

高一の自分にその因果が分かるはずもなく、どうするかどうしようか二の足踏み踏み、狙いの男子はなんと隣の女子と話している。

終わった。見る目がなかった。

他を当たろうかと思いつつ、その会話を盗み聞きしていると、初対面にしてはあまりにも馴れ馴れしい。

それもそのはず、二人は同じ中学の出身ということが聞いているうちに判明した。

安心した。

その男子が驚異的対人スキルの持ち主ではないことに。

それでも自分が話しかけられていないという状況は変わらない。

声を掛けるか、でもなんて、「あ、どうも」か、バカなんだそれ、「あ、はあ」で会話終了じゃないか、じゃあどうしろと、思いつかない、思いつかない。

ナンパでもあるまいし、第一声をどうするかなんてことで逡巡している時の表情はさぞかし醜いのだろう。

ただならぬ気配を感じ取ったのか、もちろんそんな訳ないが、目当ての男子の方から声を掛けてもらった。

まるでアプローチ待ちの乙女だ。

ぎこちないながらも会話にはなっていたと思う。

案の定、彼は向こう側の住民ではなかった。



別の日。

好きな食べ物を答える謎の時間に、僕の列が選ばれた。

うどん、ラーメン、お寿司など。

当たり障りのない回答ばかりでなんともつまらない。

ここは一度外してみよう。

「はい、次」

「枝豆」

「え?」

「枝豆です」

ささやかな笑いと戸惑い。

期待通りの反応だ。

平和な答えの連続が意図せぬ前フリになっているとはいえ、見るからに陰気な奴が率先して場をかき乱すとは到底考えにくい。

そこにこそ活路がある。


中学時代、己を解放した僕は「面白い」との褒め言葉をもらうことが稀にあった。

ただの面白いではなく、その前には必ず「意外と」がついた。

発言内容もさることながら、人見知りで口数の少ない根暗そうな奴が口を開いてなにか面白そうなことを言っているという状況も手伝って、ギャップを抱かずにはいられなくなるのだ、と思う。

根暗に対する笑いの期待値が極めて低いからこそ起こる現象である、と思う。

それを責めるのではなく、そこで攻めることが根暗界の重鎮に残された唯一の活路なのだ、と思う。

などと大それたことを高一の頭で考えていた訳ではなく、ぼんやりとギャップが武器になることを掴みかけていた頃の小咄。



選択科目は書道。

隣のクラスと合同で、各部屋に分かれて授業を受ける。

そこで僕は中央最前列に置かれてしまった。

目の前に人はなく、教卓と黒板があるだけ。

隣に女子。

後ろの男女はすでに話している。

更に後方では明るい男子が盛り上がっている。

さてどうする。

まず後ろの男子を落とすのが上策。

しかし、後ろを振り向くのには勇気が要る。

後ろを振り向くとは会話への参加表明に他ならないが、それは当方の都合に過ぎず、ひょっとしたら先方は、「異性との睦言に割って入る根暗」という烙印を押すだけ押して何食わぬ顔で会話を続け、その連帯により親密度もひとしお、僕はひとり赤っ恥、そっと体を前に戻す哀れな男、なんて事態になりかねない。

かといって入学して一月も経たないのにこのまま真正面をじっと見据える不審な男になるのも御免被りたい。

参ったな、板挟みだ。

途方に暮れていると、隣の女子が後ろの会話に加わった。

この機を逃せば金輪際ない、行かざるを得ないと決心したのか、気を遣って声をかけてくれたのか、肝心の記憶は抜け落ちている。

結局、その男子とは仲良くなった。

後から聞いてみると、枝豆事変で「面白そうな奴だな」と思ってもらえていたらしい。



第一の男と第二の男を起点に、同族への友好の輪が広がり、居場所が定まった。

同じ現象は教室中で起きていて、男女陰陽それぞれ四グループにまとまった。


僕の所属は、チーム負け組。



体育祭の親睦会は周りが行くから行った。

上級生、年上は苦手だ。

失礼のないよう心掛けるとそれだけで頭がいっぱいになり何を喋ればよいのか。

それに初対面だし。

せめて友達と一緒の席になれたら。


希望は希望、現実は現実。

あろうことか、もっとも一緒になりたくないと思っていた野球部の男を振り分けられてしまった。

その男は、威圧的な表情で怖いのだ。

中学時代の野球部は旧知の仲だけあって親しみやすい連中だった。

高校の野球部は未知の仲だけあって親しみのない連中だ。

特にこの男は人を睨むように見る。

ビビり上がってしまう。

初対面の先輩方、恐怖と苦手意識の権化、それと陰気奴。

店内のガヤが大きく聞こえる、会話の打ち沈んだ席。

来たことを後悔した。

奇遇なことに、野球部も同感らしかった。

よその楽しそうな席を見回しては露骨にため息をつき、「つまんない」と小さく漏らす。

分かるけどそれは外に出しちゃ駄目でしょうが。

しばらくすると男は別の席に移り、お仲間と浮かれ騒いでいた。

チーム負け組もそれなりによろしくやっているようだ。

ひとり、惨敗。




チーム負け組が基本単位。

初の中間試験を終え、平々凡々な僕みたいのもいれば、意外と高順位で抜かりない奴もいた。

「内部抗争は不毛だ、期末で狙うは王座のみ」と負け組は決起結託した。

そこで何故か始まるメールの応酬。

試験前、ここが追い込みどころというのに誰からともなく一斉送信。

一晩で100通を超えることも珍しくなく、もはや試験勉強を妨害する地獄への道連れ旅だった。

もちろん王座を奪えるはずもなく、順位も落ちる、のではなく変動はなかった。

冴えない奴は冴えない、抜かりない奴は抜かりない。



遊びたい盛りの高校生。

マクドナルドでポテトを誰が買うかで争い、そのポテトも獰猛な獣たちに食い散らされる。


ボウリングではガーターをすれば煽り、スペアがとれなくても煽る。投げる前から煽る。


初めてカラオケにも行った。

音楽は聴くものだと知った。



夏休みにはディズニーランドにも行った。

家族以外とは行ったことのないテーマパーク。

ディズニー大好き男に連れ回され、脚が棒になった。

というだけならわざわざ書いたりしない。

昼間、偶然にも佐藤と会ったのだ。

しかも彼女を連れて。

チラッと見ると、スラリとした女性。

顔は覚えていない。

佐藤とは少し話して別れた。



そうか、佐藤にも彼女が。


現物を見ておきながら実感が湧かないでいる。

知らない人の心にもスッと踏み込めて話術に長けた佐藤なら、高校生にもなれば彼女ができても何ら不思議はない。

しかし、不思議とそこに考えが及ぶことがなかった。

小中学校の同級生に恋愛というものが上手く結びつかなかった。

もちろん中学生にもなれば、ワックスをつけてみたり、体育の後は教室をシーブリーズの香りで満たしたり、女子はスカートの丈を短くしたりするなど色気づき始める年頃だ。

誰が誰を好きで告白しただとか付き合ってるだとか色恋の噂も飛び交い、ネタにもされていたが、そうした恋愛の表舞台に立っているのは全体の一割二割に過ぎなかった。

大半が客席に座るか、舞台袖に身を隠していた。

自分だって初恋を経験していたが、付き合うということを理科で習った宇宙のように無関係なものに感じていた。


彼女が欲しいという願望が欠落していた。

結婚したいという願望も。

リア充爆発しろ」という僻み根性丸出しの呪詛も、その過激な響きが愉快だから口にしていただけで羨ましいとは思っていなかった。

酸素の元素記号がHAPPYになるクリスマスだって、家でのんびりする平凡な一日に過ぎなかった。

(高二からコンサートに行くようになり、特別な一日に変わったが)


勝手に幸せになっていればいい。

自分は十分に幸せだから。



ただ、解けない疑問が胸に蟠っていた。


どうして周りは異性とも仲良くしているのか。

同性の友達とバカ笑いするだけで満足ではないのか。





過去を生きる男。


高校生の頃、小中高が同じ友達の一人とは「高校は中学に比べて退屈だ」という話を再三にわたって繰り返していた。

中学時代を思い返しては必要以上に記憶を美化し、なかなか「今」を認めようとはしなかった。

「今」だって楽しいくせに。

「今」を生き抜けば、それは語られる過去になるのに。



過去にすがりつく傾向は大学生の坊やになっても変わらなかった。

大学はぼっちでも構わない。

始めはひとりだったから、というより中高の友達がいるから。

佐藤とも会うし、中学の他の友達ともチーム負け組ともたまに会う。

近況報告をしたり、思い出話で盛り上がったり。

ただその中で、僕の近況報告は白紙のことが多い。

中高の友達と地元で遊ぶ、過去の人と過去の場所で遊ぶのだから目新しい事があるわけがない。

大学の友達と都内のオシャレなカフェに入ったり美味しい店を探したり飲み明かしたりという、新しい人と新しい場所が欠けている。



人生の夏休みで内向性が幅をきかせるようになった。

大学は必修を除いてクラスの概念がない。

つまり人付き合いが選択的になる。

その自由を前にして僕が選んだのは、幼児退行したかのような内向性の肥大化だった。

その結果、大学でできた友達は必修で二年を共にした二、三人だけ。

一緒に授業を受けたり、昼飯に誘われたり、海外旅行にも行ったことのある仲だ。



LINEの連絡先は100人だが、そのうちの90人を切っても支障はないだろう。

人のホーム画面を見ると、目に映るのはLINEの通知数。

常に赤いバッジがついており、その数も二桁三桁が当たり前。

一方の僕は、たまに連絡が来れば上出来。

しかし今はその数少ない連絡にさえ返すのが億劫だ。

遊びの誘いも待つのが基本。

こちらから仕掛けずとも向こうから誘いが来るのが分かっているから。

それに遊ぼうという気概も老衰しており、月に一度遊べば充分だ。

人生の夏休みだからこそ、家でごろごろごろごろ。



ひとつでも居場所があれば、それでいい。




自分の人見知り具合を考えれば、狭く深くの関係になるのは当然だ。

小中高が同じ友達に「◯◯と仲良くなるには十二年かかる」とも言われたが、あながち間違いではないと思う。

高校からずっと通っている美容院は、ようやく慣れてきたとはいえ、いまだに緊張する。

二、三ヶ月に一度で、一回一時間。

山にならない塵。

大学の必修は週二回。

肩の力が抜けて女子とまともに話せるようになったのは二年になってからだった。



女性というものは、男性自らが開拓しなければならない。

その開拓するはずの男が堅固な守りに徹してしまっている。

仮に女性から話しかけられても、おどおどぼそぼそ返す男なんて異様で気味が悪い。

女性は愛想を尽かし、僕の存在はその人の中から抹消される。

人付き合いが強制ではない大学という空間で、打ち解けるまで時間のかかる奴を女性が相手にするだろうか。

おかげで好きになるほど深く関わる機会がない。






材料は出揃った。


最小限の人付き合い。

最強の人見知りと最弱のコミュ力。

乙女チックな受動態。



これまでに彼女ができた数をx、女友達ができた数をyとすると次の連立方程式が成り立つ。


x+y=0

xy=0


この式の解は、x=0,y=0である。



小中高大16年間、共学でありながら彼女はおろか女友達さえできなかった。



セルフ男子校、ここに開校。